救急車のサイレン

2005年5月16日
とともに母は病院に行きました
今は、落ち着いています

母は拒食症のような状態を1週間続け
脱水症状を起こし
(ようやく?)入院しました。

でも、早晩
でなければならないでしょう

同居していないせいなのかどうか
兄夫婦にとっては
母は完全な「お荷物」でしかないようで

私にとってMが唯一の相談相手
彼がいなければ
とうていいままでも
乗り越えてこられなかったでしょう

母がいなくなったベッドを見て
とうてい、
肩の荷をおろした、なんて気持ちにはなれません

病院の後のこと

在宅は
もう限界なのかもしれません
だからといって
簡単にきめられない

ガンにかかった父を病院につれていく朝
もうこの家には戻れないんだと
父は知らなくて。

検査入院だとおもって
それがおわったら家に帰れると思って
なにげなく車に乗る父の様子が
いつまでも残像のように
私の網膜にやきついているのです

日常の中に、突然にやってくる
死というものの影

私はまだ
その光景にしばられているのでしょう

おそらく・・・
本人でなく、自分がそれをしっていて
その場にいて 事柄をすすめていって・・
それでいて、何も出来ないということが。。

・・兄たちのように
割り切れればどんなに楽だろう

かといって、
彼らを責めることはできない

母のことを
お荷物だと考えていないかとうと
否定できない
その自分が、苦しい

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