1月23日の日記
2006年1月23日”飽食”の時代においては
食べ物にしても
なんにしても
余分な物をとりこまない、ことのほうが、難しい。
同時に、
"飽食”なんていっても、
豊かさの定義は、どうなんだろう?
なんでも手に入れることができているようで、
実態は、むしろ貧しいものになっているのでは、と思う。
そもそも、食物が自らの血となり肉となるものだということを
認識しているか。
便利さとの引き換えの食品添加物、
その後引き受けることになるリスク、結果を
自覚して選択しているか。
自ら必要とする一日のエネルギーの量を自覚しているか。
ストレス発散の道具にしていないか。
自らが生きていくのに必要な物を
必要な分だけ見極め、選択していく。
それは食べ物に限ったことではなくて、
消費行動全般においても・・いかに「買わない」か。
これからしばらく、これが自分的にテーマになりそうです。
とはいえ、そもそもお金がないので買えないんですけどね・・(^^;)
でも、実際にそう思うし、
「しかたなく」ではなく「能動的に」行動する方が、楽しいのと思うのです。
食べ物にしても
なんにしても
余分な物をとりこまない、ことのほうが、難しい。
同時に、
"飽食”なんていっても、
豊かさの定義は、どうなんだろう?
なんでも手に入れることができているようで、
実態は、むしろ貧しいものになっているのでは、と思う。
そもそも、食物が自らの血となり肉となるものだということを
認識しているか。
便利さとの引き換えの食品添加物、
その後引き受けることになるリスク、結果を
自覚して選択しているか。
自ら必要とする一日のエネルギーの量を自覚しているか。
ストレス発散の道具にしていないか。
自らが生きていくのに必要な物を
必要な分だけ見極め、選択していく。
それは食べ物に限ったことではなくて、
消費行動全般においても・・いかに「買わない」か。
これからしばらく、これが自分的にテーマになりそうです。
とはいえ、そもそもお金がないので買えないんですけどね・・(^^;)
でも、実際にそう思うし、
「しかたなく」ではなく「能動的に」行動する方が、楽しいのと思うのです。
コメント