3月16日の日記
2006年3月16日問題のすり替えはしない、と
とうの昔に決めた
でも、弱い自分は依然としてあいかわらず存在する。
家のことがあったから
介護があったから
”人並みに”結婚して家庭を持つことが”できなかった”
人の眼鏡をかけることなぞ、ナンセンス
だが、ふと
「これでよかったのだろうか」
迷いは訪れる
自分の全てを賭け
必死に守ったはずの家族は皆、
私の前から去っていってしまった
うけついだ命のリレーを
つないでいくことも
かなわぬことかもしれない
”私は何の為に闘ってきたのか?”
喜びは
ともに喜ぶ人がいてこそ完結する
しかし・・
私はこの10年間
確かに、命を燃やしながら
生きてきた
実感はこの手にある
苦しみが
悲しみが
私を生かしてきた
つかのま訪れる幸せが
何倍にも心にしみわたった
人に絶望し
人の情けに救われた
無償の心で
あらゆる形で
支えてくれた人たちと
出会えたことの僥倖
二親の最期を看取れたということ
悲しくも、幸せなことだった
苦しくもあったが、大切な時間を分かち合えたことは
何にも変え難いことだった
亡くなって尚
父と母と
どこかでつながっている実感がある
今尚
愛し、愛されている実感がある
多くの教訓を学んだ
無駄な人生の時間などない
迷ってこそ人生
切なくてこそ
生きている証
自分次第で
目に見える現実でさえ
形はいかようにもその姿を変える
本当にいやだったら、
今の場所にいないだろう
自分次第なのだ。全てが。
自分の人生に起こる
制御し得ないことさえも含めて。
とうの昔に決めた
でも、弱い自分は依然としてあいかわらず存在する。
家のことがあったから
介護があったから
”人並みに”結婚して家庭を持つことが”できなかった”
人の眼鏡をかけることなぞ、ナンセンス
だが、ふと
「これでよかったのだろうか」
迷いは訪れる
自分の全てを賭け
必死に守ったはずの家族は皆、
私の前から去っていってしまった
うけついだ命のリレーを
つないでいくことも
かなわぬことかもしれない
”私は何の為に闘ってきたのか?”
喜びは
ともに喜ぶ人がいてこそ完結する
しかし・・
私はこの10年間
確かに、命を燃やしながら
生きてきた
実感はこの手にある
苦しみが
悲しみが
私を生かしてきた
つかのま訪れる幸せが
何倍にも心にしみわたった
人に絶望し
人の情けに救われた
無償の心で
あらゆる形で
支えてくれた人たちと
出会えたことの僥倖
二親の最期を看取れたということ
悲しくも、幸せなことだった
苦しくもあったが、大切な時間を分かち合えたことは
何にも変え難いことだった
亡くなって尚
父と母と
どこかでつながっている実感がある
今尚
愛し、愛されている実感がある
多くの教訓を学んだ
無駄な人生の時間などない
迷ってこそ人生
切なくてこそ
生きている証
自分次第で
目に見える現実でさえ
形はいかようにもその姿を変える
本当にいやだったら、
今の場所にいないだろう
自分次第なのだ。全てが。
自分の人生に起こる
制御し得ないことさえも含めて。
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