悔恨

2006年7月31日
今になって思うのです

私は、母の気持ちに
ちゃんと、
本当に寄り添えていたのだろうか

家にいる間はもとより
いない間のこと
色々気を配っていたつもりだったし

介護にまつわることはもとより
他にやることはあっても
なるべく母に顔を見せ
会話をするようにしていた

私と話している時
母は、本当に幸せそうな顔を
見せてくれていて・・

でも
母は、色々と
私に気遣っていたのだと思うのです
思うことも
言わずに胸におさめていたこともあったと思うのです

・・遠慮もあったでしょう。。
私は精一杯やっているのだから、と。

介護は
突然人生が変わって特別なことをするのではなく
オムツ代えとかを機械的にする作業そのものではなく
「生きること、そのもの」であったと

あたりまえにすごす
日常の生活の時間の中で
その人と、寄り添うことであった
その人の気持ちと、
寄り添うことであった

今になって、そのことが胸に迫ってきます。

・・私は
母の不安や
母のさみしさや
そういった気持ちと
ちゃんと寄り添っていたのだろうか。
向き合っていただろうか。

わかったつもりでいて、
全くわかっていなかった

現実をまわすことにきゅうきゅうとして
自分の気持ちに手一杯だった、自分。

むしろ、その部分をわかることを
さけてさえいた、のかもしれません。。

どうしようもできないから、と。

悔いても悔いても
もう、遅いのです

母は、きっと許してくれている、と
思いつつ・・(願いつつ・・)

このことを決して忘れないことが
私の課されたことなのだ、と
思っています。

前にも書いたと思いますが

赤ちゃんの世話をすることで
なにか贖罪される、ということではないけれど
物言えぬ赤ちゃんの気持ちによりそって
お世話する・・そのときに
母のときに経験したことが
心身ともに、いかすことができたら、と、
願っています。

そう、
前に、私が 何かの会話のとき
「私でもちゃんと子育てできるかしら?」と言ったとき
母は言っていました

「ちゃんと、よくみることだよ」と。。

「よくみていれば、わかる。
だから心配しないで。大丈夫。きっとできるから。」と。

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