5月30日の日記
2008年5月30日灰谷健次郎を読んでいる。
恥ずかしながら、今まで一冊も(!)よんだことがなかった。。
まえにちらっとゆにぞんさん(むささびさん?)のところで名前をみて、気になっていて。。
「灰谷健次郎の発言」シリーズを読み始めたとたん
”ふうちゃん”にあいたくなり「太陽の子」をよむ。
発言シリーズはとりあえずよみすすまず、小説を次々と。
今、「兎の眼」が手元にある。ワクワク。
「天の瞳」「砂場の少年」もよみたいな・・
いやいや恥ずかしい限り。今頃出会うとは・・
私は今まで何をよんでた?
そして本棚にもまだまだ読んでいない(でも読みたい本)が
わんさか群れている。
読みたい本がいっぱいあるのは
幸せなこと、と思いつつ。
内田樹教授がどこかの本にかいていた(ような気がする)けれど
「人は自分の死(後)のことをリアルにイメージできる人ほど
よく生きる事ができる」
まさに養老先生がいっていたように(引用ばっか)
「現代人は、自分だけは死ぬ気がしない・・気になっている」
っていうのと、対応しているようなしていないような。
養生訓をひもとくと(これまた引用・・しかも不正確ざんす)
江戸の人たちは人生の後半にこそ楽しみがある
老いることを価値とみなす、そして
自分のセンターというものをはっきり認識していたように思う。
話がおもいっきりとんだけれど、
要は、自分の本棚は自分の読書歴がまるわかりで
人の眼がはい入ると想像するとちょと恥ずかしい・・
って、誰に見栄(?)はるでもなく思う。
人の眼がはいる・・ってのは
まぁ、娘。
母が亡くなった後、家の荷物の整理にどれだけ時間とエネルギーがいったかを知っているので、余力がある今から
手をつけないと・・と(本気で)思っているのです。
(年取ったら、本の上げ下げも難しくなるし、根気もなくなるだろうし・・)
本に限らず、いろいろと整理をしないと。自分の死んだ後が大変だろう、ということはおいておいて、
自分の為にも、自分の身の回りのもの、そして私の両親の想い出のものも、厳選しておきたい。
母が亡くなった後荷物の整理をした、といえども
実際に母の残したものは一つも手をつけられなかった
し(今思えば、では何を処分したのやら・・はて?という感じ)
その数年前になくなった父のものも完ほぼ完全に(!)残っている。古くとも、おそるべし一軒屋。どこにそんなに”収まって”いるんだか。
しかし。今現在すでに収納スペースはさすがに満杯。今後増えるであろう娘の荷物を思ふ。
荷物、とか、本とか、思いでモノとか、もしかしてリユースできるんじゃないかとかモノとかでひしめきあう空間。
思うに、モノは使ってこそ、なんだな〜・・
恥ずかしながら、今まで一冊も(!)よんだことがなかった。。
まえにちらっとゆにぞんさん(むささびさん?)のところで名前をみて、気になっていて。。
「灰谷健次郎の発言」シリーズを読み始めたとたん
”ふうちゃん”にあいたくなり「太陽の子」をよむ。
発言シリーズはとりあえずよみすすまず、小説を次々と。
今、「兎の眼」が手元にある。ワクワク。
「天の瞳」「砂場の少年」もよみたいな・・
いやいや恥ずかしい限り。今頃出会うとは・・
私は今まで何をよんでた?
そして本棚にもまだまだ読んでいない(でも読みたい本)が
わんさか群れている。
読みたい本がいっぱいあるのは
幸せなこと、と思いつつ。
内田樹教授がどこかの本にかいていた(ような気がする)けれど
「人は自分の死(後)のことをリアルにイメージできる人ほど
よく生きる事ができる」
まさに養老先生がいっていたように(引用ばっか)
「現代人は、自分だけは死ぬ気がしない・・気になっている」
っていうのと、対応しているようなしていないような。
養生訓をひもとくと(これまた引用・・しかも不正確ざんす)
江戸の人たちは人生の後半にこそ楽しみがある
老いることを価値とみなす、そして
自分のセンターというものをはっきり認識していたように思う。
話がおもいっきりとんだけれど、
要は、自分の本棚は自分の読書歴がまるわかりで
人の眼がはい入ると想像するとちょと恥ずかしい・・
って、誰に見栄(?)はるでもなく思う。
人の眼がはいる・・ってのは
まぁ、娘。
母が亡くなった後、家の荷物の整理にどれだけ時間とエネルギーがいったかを知っているので、余力がある今から
手をつけないと・・と(本気で)思っているのです。
(年取ったら、本の上げ下げも難しくなるし、根気もなくなるだろうし・・)
本に限らず、いろいろと整理をしないと。自分の死んだ後が大変だろう、ということはおいておいて、
自分の為にも、自分の身の回りのもの、そして私の両親の想い出のものも、厳選しておきたい。
母が亡くなった後荷物の整理をした、といえども
実際に母の残したものは一つも手をつけられなかった
し(今思えば、では何を処分したのやら・・はて?という感じ)
その数年前になくなった父のものも完ほぼ完全に(!)残っている。古くとも、おそるべし一軒屋。どこにそんなに”収まって”いるんだか。
しかし。今現在すでに収納スペースはさすがに満杯。今後増えるであろう娘の荷物を思ふ。
荷物、とか、本とか、思いでモノとか、もしかしてリユースできるんじゃないかとかモノとかでひしめきあう空間。
思うに、モノは使ってこそ、なんだな〜・・
コメント