しつけ、ということにぐじぐじ思い迷っているんでありますが。
灰谷さんの本の解説文(高史明さんによる)に
”本来の漢字の「仕付」は、働くということ、そして人間が働くということは学ぶということなしには成立しない、この事実をふまえて働き与えるという意味が入っている。助け合いと創造のない「仕付」はありえない。それに反して国字としての「躾」には、子どもを上から見ている大人のまなざししかない。”
という箇所がある。
そっか、視線だったのか、と思った。
灰谷さんの本の解説文(高史明さんによる)に
”本来の漢字の「仕付」は、働くということ、そして人間が働くということは学ぶということなしには成立しない、この事実をふまえて働き与えるという意味が入っている。助け合いと創造のない「仕付」はありえない。それに反して国字としての「躾」には、子どもを上から見ている大人のまなざししかない。”
という箇所がある。
そっか、視線だったのか、と思った。
コメント
私はまだまだ私自身のエゴが見え隠れしてしまって、イカンです。。