穏やかな日

2005年10月11日
休日は、病院で一日中つきそっています
母は、昼間もうつらうつらしていて話らしい話は出来ません
私もおつきあい(?)してうたた寝することも・・(何しにいってるんだか?)

そんな中、
母がちょっとでもにっこりしてくれると、
ちょっとでも言葉を返してくれると、、
こんなにうれしいことはないくらいの喜びを感じます

そして・・
なにもしていなくても
こうやってそばにいるだけでも
やっぱりしみじみと
幸せな気持ちが内側からにじみ出てくるような気が
しています
やはり、母の痴呆は始まっています
静かに、少しずつ、でも確実に・・

家にいる頃から、
例えば、今日家に誰が来た、とかそういう話は
ヘルパーさんの残す伝言が書いてあるノートを見るしか
確かな話はわからない、そんな状態でしたが、
私は、これは年相応の物忘れなんだと
おもって、いや、そう思うようにしていました

でも今日、ある人の言葉がきっかけで・・
そのことを、もう、
直視しないといけない段階にきたとはっきり認識しました。。

もっと聞きたい事があった
もっと話したい事があった
今だって、本当は色々相談したい事があって
意見がしりたい事があって
聞いてもらいたい事があって・・

もっともっと、深い話がしたかった。。

でも・・、いつの間にか
もう時間切れになっていたんですね

もちろん、まだ話はできるし
調子がよければ
そして落ち着いてこれば
また状態がかわるのかもしれません

そして
母がどんな状態になっても
私にとって母が母であることには変わりなく。。

きっとよくなると信じて
よくならなくても全てを受け入れて
ただ母との時間の一瞬一瞬を慈しみながら
すごしていきたいと
改めて・・

母の手術が

2005年10月3日
無事終わりました。
本当に、ほっとしました。
あとは、術後の経過が順調に行くのを
ねがうばかりです・・

昨日

2005年10月2日
じっくり、母のヘルパーさんと
話が出来ました。
体調的には問題が無いようです。
ほっとしました。

病院の中の時間

2005年9月25日
母はもう、自分で自分の痰を取ることもできなくて。
しようとしないだけかもしれないけれど、、
あらゆる動作を、自らすることをやまてしまっています。
というか、そういう状況に追い込まれるところ、なのかもしれません。病院というところは。本人の意思より、ペースより、、効率が優先されるところですから。。

病院で、ずっと傍にいると・・
そこでの母のペースがわかってきます

母に限らず、自分で起き上がる力もなくなっている老人にとって、何かをする、ということに意義があるとはおもえないのでしょう
苦しいことは、だれでも、したくない・・

時間におわれる生活をし、
そういうペースで日常を送っているわれわれが、
そのままの調子で病院にいき・・
「○○してちゃいけないでしょ」
とか
「○○しなきゃ」
とまず、こちらの要求というか、そういうことを求めるのは
気持ちはわかりつつ、彼らには酷なことをいっているような気がしてしまいます。。
”よくなって”ほしい気持ちから、というのは十分わかるのですが。

私も、常日頃は面会時間を気にして
あわただしく顔を見せるのがせいいっぱい・・なので、
自戒の意味もこめて、。

心を通じ合わせようと思ったら、
相手のペースにあわせて
呼吸をあわせて、
相手の時間の流れに・・空気をみて、ちょっとこちらも一息ついて・・それから・・

相手に何も要求しない
ただ
時間を静かに穏やかに共有できることを
心の中で喜ぶ。。

純粋に

2005年9月20日
年をとった、ということなのでしょうか。
いつの間にか、
やるべきことをやると
気持ちがとても
すっきりするようになりました。

仏壇の手入れ
家の中の掃除、
玄関、家の外回りの掃除
そしてお墓参り・・

母が体が弱かったせいもあり
小さい頃から
いつも誰か家の中にいて、
掃除、洗濯、料理・・
家事全般をやってくれていました

そのせいにしてはいけないけれど
普通にわかっていないといけない
生活のこまごまとした知恵とか
ノウハウを身につけるのに
随分時間がかかったような気がしています
(かなり恥ずかしいことですが)

言い訳を列挙すれば
・私なりには手伝っていた
・私なりに、彼らの仕事を奪ってはいけないという遠慮があった

ということいえますが、
でもやはり、自分の家の事なのに
受身でしか考えていなかったし、
できれば母が現役で主婦をやっていた時に
いろいろな事を直接教えてもらいたかった・・
そういう思いがあります。

もっとはやく気づいていればよかった・・

そんなことが、
今更ながらに
いろいろと。。
なのかもしれませんね

母の生き様を見て

生きるということ、老いるということ

まざまざと考えさせられています

ありがとう・・

胃ろう

2005年9月4日
母に、胃ろうの手術のことを伝えました。

・まず、食べられない、ということは、体に良くない。
 極端なことを言うと、栄養が取れないと人間は死んでしまう。

・ずっと鼻からチューブをいれて栄養をとる方法を続けていくわ けにはいかない。チューブを入れている限り、病院以外のとこ ろにはいけない
 (これは母には言いませんでしたが、入所を考えている施設 は、チューブは対応できないけれど、胃ろうならできるということでした。胃ろうのほうが遥に安全性が高いのだそうです)

・かといって、チューブを入れて栄養補給をするのは治療行為で はないし、このままずっと入院している訳には行かない

だから、このまま食べれなければ、胃ろうをするしかないと。。
もちろん、手術の日までに食べれるようになれば、手術をする必要はなくなるけれど、と。

これは先生から聞いたことですが
食べることと飲むことを比べると
嚥下の機能がおちていたら、食べることよりも
飲むことのほうが遥に難しいことなのだそうです。

母はお茶や水はのめるので、
食べ物を食べないのは
自分の意思でとしか考えられないと・・
(自覚があるかどうかは別として)

母は、胃ろうの手術をしなければならない事をすでに先生たちから聞いているはずなのですが、
私には初耳のようなことをいっていました。
理解したくないのかもしれません。

歳をとってくると、
意志に関係なく、
食べ物が食べられなくなることは
よくあることなのか・・

同じ病室のむかえ側のベッドのおばあちゃん(90才)も
先日胃ろうの手術をしていました。
認知症があるということで
胸についた装置をとってしまうといけないということで、
手にミトンをはめさせられて・・

何が起きたのかよくわからない様子で
「すみません・・
どうしたらいいの?
痛いです。これとってください・・」
と、始終つぶやいていて・・


方向として、胃ろうするしかないというのは
心に定めています

先生も、たいした手術ではないし、危険も少ない。
後で食べれるようになったら、使わなければいいし、と。

それでもやはり、
胸が痛んでしまうのです。とても、。

プレッシャー

2005年8月16日
悪気があるとか
そういうことじゃないのはわかっている

でも
相手の意思を変えようとして
こういう手段で
こういうアピールをして

もはや私の気持ちを慮る余裕もなく
自分の欲求しか
眼中にないのでしょう

正直、私はどう考えればいいのか
わからなくなっています

親を大事に思う気持ちはある
でも、
こういう風にプレッシャーをかけられても
気持ちを変えることはできない・・

哀れに思いつつ
でも、具体的に母をどうしたらいいのか・・
とりあえず施設の方は待ってくれるようですが・・
途方にくれてしまっています

母の入所日

2005年8月10日
が、決まりました。

母が、そこでの生活を快適に送ることができるように
あらゆる努力をするつもりです

どうか、母にとって
いいところでありますように。。

母の寝顔

2005年8月10日
最近、いっても寝ていることが多い母。。
寝顔をしばらくみて帰る、ということが続いている。

そして・・
母の寝ている姿から
悲しみの波動が伝わってくる・・

母の顔

2005年7月29日
昨日、話をしようと病院に行ったら・・

私をみてぱっと顔が輝き、
にっこりわらってくれて。

でも眠気にはかてなくて
まぶたが半分とじかかり・・
そして又見開いて、のくり返しで。

こんなに美しく、愛らしく、慈愛に満ちて・・
清らかな母の顔は見たことがない
そう思いました。
この顔を、目に焼き付けたい、
そう思いました。
介護という現実が入ってきたとき。
良くも悪くも
関係が濃密になっていきます
身体的にも、
精神的にも。

そして、
誤解を恐れずにいうと
こんなに面白く、かつやりがいのあることもなく
(日々の変化にスムーズに対応するには
総合的なマネジメント能力が欠かせません)
人一人の生活全てを仕切る立場になるゆえの
危険性もあり(その人の為というより、自分がその
人に対する影響力を及ぼすことへの快感を覚えてしまうこともありうる)
そしてこんなに重く、
喜びと悲しみと怒りと憎しみと
懺悔の気持ちと愛情が同時に交錯する世界だったとは。。

最初は現実のスピードについていけず、
信じられず、
いやいやながらもやらざるをえない、
そういう気持ちではじまったことが・・・
いつの間にか、生活の中心になっていました。

そして今、
母の入院からしばらくたち
母がいない生活が何かしら不思議で
介護を何もせずに、自由時間があることに対し
ふと罪悪感を感じてしまう

そんな日々の中・・

***************************

前回、説得、という言葉を使いましたが
それはちょっとちがうのかもしれません。。

いくら言葉を尽くしても
私の気持ちを伝えても
おそらく母は
頭ではわかっても
納得することはないのだろうと思います

今までも同じ話は繰り返ししてきたのですし
今回の母の拒食も
彼の事を伝えた私に対し

「私を見捨てないで」

というメッセージだったのだから。。

私も最初は無意識のうちにも
それに応えようとし、
どちらの方向に行くべきか
正直、迷いました。
でも。。

やはり、
私には私の人生があり
親孝行をしたいという気持ちがあっても
自分としての限界を超えた自己犠牲をすることは
双方にとっての悲劇につながると
思うに至りました
いや、思い切ることにしました

無力感と
悔恨の情と。

すんなりいくとは思えませんし
これからも紆余曲折が予測されますが
腹を据えて
やっていくつもりです。

いよいよ

2005年7月22日
母を説得しなければなりません

先回は、施設自身に問題があって断念しましたが、
今回は・・

病院から

2005年7月21日
母の退院を、迫られました・・
思い切り、抱きしめてきました
何度も。
母は、とても嬉しそうでした
私も、とても嬉しかった・・

大切に思っている人に
何度でも
そのことを告げずにはいられない
あらわさずにはいられない

母は

2005年7月1日
相変わらず食べません・・
それでも、
毎日、希望をもたずにはいられないのです

笑いを失い
すっかり面容が変わった母をみるのが
辛くても

何もできなくても、
逃げたくはないのです

心療内科

2005年6月20日
母のことで
心療内科のクリニックに
相談の電話をしました

うつからくる摂食障害も
珍しいことではないとのことでした

主に診療とカウンセリング、投薬が治療内容だそうですが
なんとカウンセリングは2,3ヶ月待ち!
時期的にも、今は多いのだそうです。。

そこは評判がいいところなのですが
通いしかダメで、当然往診も無理

そこに母をつれていくことの算段自身が
今のところつきませんが
なんとかならないものか。。

母の担当医と

2005年6月15日
面談してきました。

ますます、悩みが深くなりました。。

このまま摂食障害の状態が続けば

胃ろうはまぬがれないかもしれません

でも、はたして母はそれに、たえられるのか。。

(胃ろうを否定しているのではありません・・)

原因は、私が彼のことを話したから・・だと思います

そして・・

母には、彼のところに行くのはやめたから、

伝えました

でも、拒食は劇的には改善されていません・・

母の

2005年5月26日
拒食症、の理由が
わかりました

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