医療と介護

2005年5月17日
母はとりあえず落ち着いています
といっても、
カテーテルと点滴の管につながれ、
いっきに寝たきり状態です

医療と介護は根本が違うのですが
以前は全然わかっていませんでした

急性期には安静が必要
介護には生活の活性化が必要

ちがうベクトルなのに
ごちゃまぜに考えていました

とにかく・・
効率の為にはカテーテルなのでしょうが
というか当然のように病院ではそうなりますが
これからのことを思うと
ぜったいにトイレ誘導の復活はかかせません

カテーテルでもなく
おむつでもなく
排泄をトイレでする
という事は
分水嶺のような気がします

病院は、病気の人が入るところ・・
介護施設は、病気でない、介護を要する人が入るところ・・
(医療行為はできない)

では、母のような、グレーゾーンに属するような
そこをいったりきたりする人間は
どこにいけばいいのか・・

私が夜行ったとき
寝たり起きたりをくり返していて・・
起こすのもしのびず、
そっと母の手に手を重ねたら
目を閉じつつも
そっとうなずいてくれたような気がしました。

救いなのは。
母の顔をみて・・
まだ、大丈夫。
まだ、生きていく力は失われていない
そう、思えたことでした

救急車のサイレン

2005年5月16日
とともに母は病院に行きました
今は、落ち着いています

母は拒食症のような状態を1週間続け
脱水症状を起こし
(ようやく?)入院しました。

でも、早晩
でなければならないでしょう

同居していないせいなのかどうか
兄夫婦にとっては
母は完全な「お荷物」でしかないようで

私にとってMが唯一の相談相手
彼がいなければ
とうていいままでも
乗り越えてこられなかったでしょう

母がいなくなったベッドを見て
とうてい、
肩の荷をおろした、なんて気持ちにはなれません

病院の後のこと

在宅は
もう限界なのかもしれません
だからといって
簡単にきめられない

ガンにかかった父を病院につれていく朝
もうこの家には戻れないんだと
父は知らなくて。

検査入院だとおもって
それがおわったら家に帰れると思って
なにげなく車に乗る父の様子が
いつまでも残像のように
私の網膜にやきついているのです

日常の中に、突然にやってくる
死というものの影

私はまだ
その光景にしばられているのでしょう

おそらく・・・
本人でなく、自分がそれをしっていて
その場にいて 事柄をすすめていって・・
それでいて、何も出来ないということが。。

・・兄たちのように
割り切れればどんなに楽だろう

かといって、
彼らを責めることはできない

母のことを
お荷物だと考えていないかとうと
否定できない
その自分が、苦しい

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