8月30日の日記

2008年8月30日
偶然、「親の家を片づけながら」という本を手にとる。
まだよみきってはいない、
それどころか、数ページ。
でも、なぜかすでに懐かしい。
そして、心の痛みがよみがえる。

母が亡くなった後、
家中の荷物を整理し、
掃除し、
穴も開いていない障子をはりかえ、
家中の網戸をはずして洗い、
床を磨いた、
あの年末を思い出す。

それで空白がぬぐいとれるはずもないものを、
しかし何かしないではおれなかった・・のか。
それとも、
両親の建てた”家”に対し、
これからは私ひとりで住むのだという
挨拶をしたかったのか。

本のお陰かわからないが、
その夜、久しぶりに、父の夢を見た。

8月30日の日記

2008年8月30日
毎日のように人に会う予定をいれていたら、
楽しいは楽しいのだけれど、
身も心も少々パンクしてしまった。

・・風邪というのはありがたいものかもしれぬもの。
ゆるめようにもゆるまないわが身体が、
ぽわ〜んとほどけてしまいました。
確かに、しばらくあった頭痛と喉と痰には困りましたが。

しかししかし今回、はじめてレメディがヒットしたというか、
あきらかに経過が違うのにびっくり。
軽く、そして早く回復して大助かりなのでありました。

8月20日の日記

2008年8月20日
昨日初めて娘が一緒にしいたけをちぎってくれた。(前はそのままぽ〜いぽ〜い、だった・・)
ゴマをするときも、すりこぎに手を添えて、自分がやってる気分♪
鍋がぐつぐついっていると、その中をのぞきたくてしかたなくて、地団駄してだっこをせがむ。

いつから包丁がつかえるようになるのかな?
(確か坂本さんの「台所育児」では1歳から・・だったけれど、うちはまだまだです(^^;)折を見てトライしてみようかな・・?)

8月20日の日記

2008年8月20日
迎え火に送り火、
影膳に
ナスやきゅうりのお馬さん、そして盆提灯の用意。

娘は幼すぎて、とても今から覚えてなんていないだろうけれど、
自然に伝えていくことができたらと願う。

8月10日の日記

2008年8月10日
吉本ばななの「白河夜船」と「TUGUMI」をよむ。
なんだか自分に重なるものがあったりして、不思議な感じ。
しつけ、ということにぐじぐじ思い迷っているんでありますが。

灰谷さんの本の解説文(高史明さんによる)に

”本来の漢字の「仕付」は、働くということ、そして人間が働くということは学ぶということなしには成立しない、この事実をふまえて働き与えるという意味が入っている。助け合いと創造のない「仕付」はありえない。それに反して国字としての「躾」には、子どもを上から見ている大人のまなざししかない。”

という箇所がある。

そっか、視線だったのか、と思った。

8月8日の日記

2008年8月8日
夕飯の準備をしていた時の話。
さっきまでまとわり着いていた娘がリビングでなにやらやっている。

なんか静かだな〜(いやな予感がするな〜)と思いふと覗いてみると・・・

テーブルの上の桃をいつのまにか背伸してとり、
一人で丸ごと食べていた!

といっても桃の影形はなく、
ちゃぶ台の上にはもののおびただしい果汁ととことんまでしゃぶられたという風情の種一つ・・

おぉ〜、
見事な食べっぷりに、むしろうれしくなってしまう。

そりゃ、おいしいもんね☆

8月8日の日記

2008年8月8日
山本周五郎の「青べか物語」をよむ。


引用されているストリンドベリの言葉

「苦しみつつ、なお働け、安住を求めるな。この世は巡礼である

ということばにガツンとくる。

8月2日の日記

2008年8月2日
初の新幹線。
娘はあまりに早く過ぎ行く外の景色を前に、半ばボー然。
トンネルのところではいつも読む絵本のお気に入りのところ、
「トンネルトンネルトンネルトンネル
 まっくらまっくらまっくらまっくら」
といったのだけれど、果たして通じたかな?

友人宅ではのびのび遊んでいたが、
海岸にでかけたら、初めての海を前に
警戒モード全開。
入ることはおろか、手を海水につけることもなく退散したのでした。ちょっと波の音にもびっくりしたかな?

帰りの新幹線では
疲れたのと眠いのとで泣きっぱなし。
デッキでだきっぱなし。
しかし、娘のリズムを無視して移動している私がいけないんであって・・

久しぶりの友人との時間はとても楽しく
あたたかく歓待してくれた彼女と彼女の家族に
深く感謝。

8月2日の日記

2008年8月2日
梅ジュースの梅を使ってジャムを作ってみた。
ハチミツをつかったのだけれど、やっぱり甘い・・当然か。

ごま塩もつくってみた。
・・塩がおおかった。。

にんにく醤油を作ってみた。
う〜ん、なんだかいい感じ。しかし、友人から、にんにくも食べたいなら蒸してからの方がいいときく。
・・遅かりし。

失敗しつつ、腕がアップしていくと思いたい今日コノゴロ。

冬になったら味噌を作ってみたいな〜

7月29日の日記

2008年7月29日
放った矢は必ず自分に戻ってくる。

たしか、内田さんの本に、その文脈は忘れたが、
そんな言葉がかかれていたように思う。

自分の発言が。行動が。

戻ってくるのは、自分が放った相手からとは限らない。
そして、戻ってくるのも、自分だけでなく、自分の係累、ということもある。。
などと、つらつら思う。

7月29日の日記

2008年7月29日
叱ると怒るは違う、という。
確かにそうだろう。
しかし、とっさに叱っている時、
自分の中に、怒という感情がないとはいいきれないんじゃないかと思う。

叱る基準、というか
どんな場合に、どんなレベルで、とか
どんな風にとか・・・
迷うばかり。

より正確に言うと、
叱った後で、ぐじぐじ反省してばかり。
あれでよかったんだろうか・・と。

だいたい人に叱れるようなりっぱなコトを常にやっているわけではないんだし、などといっていても始まらないのだけれど。

7月29日の日記

2008年7月29日
私の所属する部署が廃部となった。
文字通り解体され、どこかへ運ばれていくもの、モノ、物。
回転することをやめた事業にとって、
それまで意味を持っていた書類が
モノが
あっという間に無価値な物となる。

そして私は?

これからが、勝負です。

7月27日の日記

2008年7月27日
あまりの暑さに地下室に逃げ込む。
ひゃ〜、涼しい♪
地下ということもあるし、緑のお陰で涼しい風がよく入る。

娘も始めて入る部屋に、最初は戸惑いぎみたっだけれど、
そのうち慣れて、昼寝もスヤスヤ、いつもより1時間も多くぐっすり寝ていた。

夜は窓を締めて寝ているけれど、
ここ数日は、さすがに明け方一度おきて、たまらず開けてしまう。

が、その間も娘はスヤスヤ・・
ありがたいことです。
さすがに、起きた時の体温は高いけれど(^^;

7月23日の日記

2008年7月23日
毛髪でミネラル検査、というものを親子で受けてみた。
むむむ〜、私の身体、こんなに砒素が多かったのね。
井戸水や農薬が主な汚染源というけれど、はて・・

びっくりしたのは娘の方が有害ミネラルの値が高かったこと。
いや、びっくりした、というより、
やはりいわれていたとおり、とびっくりした、というべきか。
私から譲ってしまったのね。。

3歳までの子は有害物質の排出があまりできず、
6歳までの子は有害物質の吸収がいいというのもあるみたい。

ともあれ、数値にあまりにとらわれるのもなんですが、
結構参考になった、です。

7月21日の日記

2008年7月21日
娘の汗疹が盛大なことといったらない。

朝と保育園から帰ったシャワーをあびさせているのだけれど、
おいつかない(汗)

保育園がない日は
何かにつけて
たらいで行水するようになる。
気に入ったらしく、出そうとすると怒るのだ〜
やっぱ気持ちいいもんね(^^)

(行水の日は汗疹もみるまにおさまる。
来週から保育園でも毎日水遊びだから、汗疹もひいてくるかな?)

が、寝る時の汗も半端じゃないのでした。
エアコンなし、窓閉めて、だからか・・
(私もいつのまにかパジャマぬいでたりする、。。)
ということで、
ガーゼ(パシーマ)を娘の(パジャマの)背中にはさんでねたら
(途中でひっこぬく)、なんとガーゼの形で汗疹が消えてびっくり☆

あと、びわの葉エキスの効果もすごかった!
枇杷の葉は、ムシ刺されや口内炎にもいいとのこと。

そしてお風呂はあすなろさん♪

      

2008年7月13日
                        
内田先生の本は大抵目からウロコ、なのだが、
これはウロコがざっくざく、であった。

特に衝撃だったのは、
「義務教育」の意味を、子供たちは
教育をうけるのを「義務」だと思っている、との部分。

子供たちは近年では消費主体から立ち上がる為
(昔は、お手伝いなどをして家族から評価されること、労働からはいっていたが、今は幼児からシックツポケッツをもった消費者として幼児からデビューしてしまう)
教育を受ける場面でも「客」であろうとする。
だから、「中身」をしるのは当然であろうとする。
で、「こんな勉強して何のトクになるのか?」と聞く。
そして「正しい消費者」として振舞う為、値切ろうとする。
すなわち、不機嫌さという対価をあえて支払う。
(ここも衝撃、だったのだけれど、家庭において、不機嫌である事が、家族の為に貢献しているコトをあらわす、ということを幼少期から学んでしまうのである、と。文句いったもんがち、というのは家族から社会全体まで広がった病症ではないかと・・話がずれましたが、要は「不機嫌さ」を貨幣におきかえて支払うといういこと)

同じく、ニートに関する考察もまことにざっくり切れ味が鋭く、育児に関する部分

「子どもの成長を待てない親」

「子どもを「製品」として考えて、それに外形的・数量的な付加価値を乗せて、それを親の成果として周りに示すという発想がどれだけきけんなものであるか」

「「製品」は歌わないけれど、こどもは歌っているわけですから。」

というくだりには、丁度感じていた部分もあり、深く共鳴したのでありました。

7月5日の日記

2008年7月5日
娘と二ヶ月違い(一歳十ヶ月)の、友人の子どもがもうオムツがほぼとれていると聞き、妙に焦る。
布なのに、なぜ娘は・・?なんて思って、焦ったりする。

しかしよく考えてみると、布だから、
早くとれるだろう、というのは単なる推測であって、自分の目的ではないのであった。
好きで、布をやっているのであって、おむつはずしを早くする為、ではない。(結果としてついてくるもの、ということはあっても)

何かを期待しつつ何かをする、というのはちょっと浅ましい。

やりたいからしてるだけ、なのであった。

それに、子どもは本当に一人一人違う。
おそい早いも関係ない。
つい比較してしまった自分を許して、と思う。

あなたはあなたであるだけでいいのです。
いてくれるだけでいいのです。

すでに、どれだけ私は幸せであることか。

7月5日の日記

2008年7月5日
子育てって、
子どもが、というより、
むしろ自分自身が問われているんじゃないかと思ふ。

こんなに楽しく、厳しいものに出会えて、
本当幸せ者だ、私。

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